期末試験4日目

後期試験終了。必修の二外だけでしたが。

11時手前に大学に行って、その日のうちに提出しなければならなかったレポートを提出して、その後は必修スペイン語の悪あがきをば。
全く分からんという問題が大問1の語句の意味ぐらいだったので、そこそこ出来たのでは…という驕りこそが身の破滅を招いてきた訳で。よく分からないけど、よくわからん。
分かるところを解き進めて、「よーし、早めに途中退席しちゃうぞー」ってなったところで、どこかの乗鉄王さんではありませんが「おおっと、単位を捨てるおつもりですか?」となり、答案見直していたら3人称複数を3人称単数と取り違えていたり、1人称複数なのに2人称複数の活用充てていたりがボロボロ出てきたので修正しまくりました。一人称・二人称・三人称にそれぞれ単数形と複数形あわせて6種あるとか、名詞の性数概念がある等々…の事項は1年勉強しても中々しっくりこないところがあって、英語の文法がシンプルに思えますね。


ただ、これはコミュニケーション論1のレポート書くために言語生成に関する本を読んで再認識したのですが、複雑性に満ちた文法というのは単に煩わしいだけではなく、たとえば前述の6種類の活用があれば、英語や日本語のように「私」「あなた」「彼」「彼女たち」「私たち」みたいな動作主を表わす情報だけのためにわざわざ1語使って表現しなくても良くて、その点、短い情報伝達で多くの情報を知らせることができるわけですね。
少し事情は違うかも知れないけど、日本語と英語を比較するのであれば、たとえばTwitterで140文字という制約を受けた際に、限界まで文字数を使って表現できる情報量というのは日本語の方が多いだろうし、言語について考えてみると結構当たり前の事が面白かったりだとか。
ただ、6種も活用があれば(型が決まっているから慣れれば負担は少ないという意見もあるでしょうが)動詞がいくつも出てくると阿鼻叫喚するわけで、二外がマゾっぽくて来年度履修するのを大変迷う理由として大きいわけです。

言語って当たり前のように日常生活で用いているけれど、起源とか生成の仕組み・プロセスについては分からないことが多すぎて、専門書のようなものを読んでみても、「ヒト以外の動物を使った実験ではこのような結果が得られた」と言われたところで、実験としての実験というか、「その実験をもって確証とするには無理がないか?」と思うようなものも多く、授業を聞いていて耳に残ったのは「実験は行なった。その実験によってこのようなことが得られた。」ということは公表しても、「実験を行なった際の映像資料であるとか詳細な記録であるだとかを外部に見せようとしない」場合もあるらしく、学問なのか宗教なのかよくわからんような印象も受けたりします(と言ってしまえば社会学系全般が該当するかもしれないが)。
ただ、言語が生成される上で1つのオリジナルの言語があって(始言語、しげんご)というものがあり、参照のとおりだけど、すべての言語のベースとなるものがあり、それが時間と経過とともに洗練されていくものであるとすれば、たとえば人称と動詞活用にしても、なるべくシンプルな原則に従う(主語と動詞という組み合わせにして、動詞の活用パターンを減らす)のが後発的言語の持つ傾向なのか、あるいは…ということが凄く気になる。
だけど、上記リンクでいうところの「パン」を意味する音を発したという実験は確か羊飼いに食べ物を与えたりする世話だけさせて、くれぐれも幼児に言葉を与えるなという制約で行なったもので、決して一切の音から隔離された場所に閉じ込めて実験を行なった訳でないので、外音による影響など考え始めたら切りがない。今日そんなことをすれば大きすぎる問題になるだろうが、昔は色んな事情があって自分にとって都合の悪い人(人々)をどこかに閉じ込めるということが行なわれたこともあったらしく、その際に著しい言語の未発達症状が見られたとかいう話もあって、どの情報をどれだけ信じたらいいのか分からないのは勿論、とにかく言語というものが不気味であることを感じざるを得ない。


なんで二外の話からこんな話題に飛んでいるのか自分でもよく分からないけど、これで試験が一区切り付いたので、残るレポートの処理とプログラミングその他の勉強と、なにかできることがあればお手伝いと…という生活をします。夜中に起きてるのも無意味なのでそろそろ修正したい。

そういえば、ソーシャル・ネットワーク観に行きたいねという話を友達としました。男です。男です。女ではありません。
ぼちぼち観に行けたらいいなと思って楽しみにしています。それと、2月14日はバレンタインデイで、なんか素で「今年のバレンタイン(そもそもバレンタインが何月何日なのか調べないと分からんレベルだけど)は日曜日かー。リア充ざまあ」とか思い込んでいて、月曜になるまで「日曜日だと生々しい光景見なくて済むなー」と思っていました。
ホワイトデイとかいうのが1ヶ月後にあるものらしく(バレンタインデイの日付をいつまでも覚えないので、ホワイトデイの日付も覚えないわけですが)、一部の方から貰ったり投げつけられたりしたので、覚えていたらお返ししようかなとか思います。
投げつけられた分については、5円硬貨を全力で投げつけたらいいと思うんですが、貰った分については何を返せばよいのだろう。この次元でぼんやり考えるのだから、本命とか貰った日には一ヶ月頭を抱えて過ごすことになるかもしれず、それはそれで大変ですね。
いま考えてみれば、小学生の頃にとあるチームというかグループみたいな集団に所属してて義理チョコ貰った以外は、親が職場で貰ってくる高そうなチョコレートを摘んだ記憶しかなく、その程度だったらバレンタインデーが2月のいつにあるかなんて覚えなくて当然だよなと思います。うちに籠って街に出かけなければテレビもみず、2chで阿鼻叫喚してるところぐらいしか見なければ覚える要素もあんまりないので、「なんかチョコ渡してる光景が目に付くけどそんなブームでもあるのか?」とか素で思う日も近いかも知れません。

本当に常識がなくて困ってしまうけど、バレンタインデイでは常識がなくても困る要素がないので、適度なバランスが保たれているような気がする…という意味不明な文章を書いておきます。